うつ病から借金が増え自転車操業状態に。

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どうも借金レスキューです。

今回も引き続きWさんの自己破産体験談をお伝えしていきます。

転職からうつ病に


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<<前回の記事 カード破産の体験談をお伝えしていきます。


再就職先を探す時にはすでに30歳を越えており、以前の職がかなり専門職に近く、バブル崩壊後の職業難に併せ、就職活動は中々に困難を極めました。時折「あの10年間のスキルは何だったのだろう」と悩む日々が続きましたが、ようやく失業給付が切れる寸前に幸運にも同じような職種である会社に就職することができました。

再就職した会社はベンチャーで急成長した会社。さらには女性だから、という理由は全く通用せず、当然の様に東京・大阪の日帰り出張だけでなく、全国各地への出張は当たり前でした。更に幸いと言って良いのか、社長に気に入ってもらえ、入社早々から社長と同行出張というのも当然でした。

気に入られたからには給与も前職と遜色ない額を入社3ヶ月目にして頂く様になり、併せて売り上げのノルマも責任者として、時には月間1億を目標として達成させなければなりませんでした。前職では全くノルマと言うものは存在しておらず、初めて課せられた課題に四苦八苦しておりました。

しかし、「社長に入社早々気に入られる」と言う事は、それまで周りにいた上役の方にしてみれば面白い事ではなく、社長からのノルマ・指令に加え、他の上役の方から仕事を振られても断れないと言う状況が続き、以前の職場のように残業はないものの、持ち帰り仕事や休日出勤も当たり前になるのもすぐでした。

それでも賞与を含めれば、以前の職場よりも更に年収は上がり、父からお下がりで使っていた車も故障が多くなり、私は生まれて初めて新車をローンで購入しました。

正直、少し背伸びをした250万円の車でした。

そして、車を購入した年の冬、とうとう私は課せられたノルマと周囲のパワハラにより、うつ病を発症してしまったのです。

「うつ病」発症から退社まで


うつ病の診断は「大うつ病・中程度」、初診の時点で「2ヶ月間の休養が必要」との診断書を書かれ、すぐに会社に提出するように医師から指導されました。

しかし、時は年末。翌年の企画も抱えており、休職など考えられる状況ではありませんでした。幸いにすぐに冬期休暇に入るため、その1週間で様子を見たいと後に主治医になる先生にお願いをしました。でも、これが間違いの元でした。私は「うつ病」の怖さをしらず、また病気である事を中々認められなかったのです。

プロジェクトチームの主要メンバーの1人に診断の相談をし、「あなたなら社長も理解してくれる」とのアドバイスで診断書を社長に提出しましたが、当然主治医に申告した通り、冬期休暇で様子を見たい、と申し出ました。

社長は理解あるの言葉をかけてくれ、病状が悪化するようならいつでも休養するように、と暖かく言って下さいました。まだ、ようやく「うつ病」が社会認知を受けた頃の話でしたので、主治医にその旨を話すと「理解のある職場で良かったですね」と言われました。しかし現実は甘くありませんでした。冬期休暇を明けてすぐに、おそらく病気が原因だったのでしょう、私は重大なミスを犯してしまいました。

会社からの処分はは「即1ヶ月の休職」それでも溜まった有休・代休消化という寛大な措置でした。

犯したミスの大きさによるストレス、それまでパワハラを行っていた上役の更なる悪口に病状は年末に診断されたときよりも更に重くなっていました。

「2ヶ月の休養」は当然「1ヶ月の休職」では小休止にしかならず、それでも休職明けからも服薬を続けながら勤務を行っていましたが、「うつ病=精神病患者」という上役の理解のなさと、復職してからは今までの妬みから一層パワハラは強くなり、ついに勤務3年を待たずして、私はその職場を退職してしまいました。

そして、残ったのは月5万の5年払いという自動車ローンでした。

増えたキャッシングカード


会社を退職してからは、当然月5万の車のローンは失業給付では追いつかず、祖母に相談し、それまで実家に入れていた「生活費」を無くしてもらいました。それでも、それまでの貯蓄は全て祖母の管理下にあり、きちんとされているものと考えていました。

その頃はすでに実家が所有していた賃貸物件は老朽化からの管理が難しい、との事で、祖母が売却していました。しかし、実際の理由はそうではなく、株式投資の失敗による祖母の焦げ付きと父親の借金に全て使われていたのでした。

立ち上げた自営業をあっけなく廃業し、更に膨らんだ借金を抱え、食べるものも着るものさえ無くなった両親が、ホームレス同然の状態で実家に戻ったのもその頃でした。

そんな両親を抱えている祖母に、私は今までの「貯蓄用」に渡していたお金を返却してもらうことは言い出せず、失業給付でも足りない金額の埋め合わせに、最初に使っていたJCBのキャッシングカードを利用し、あっという間に限度額は一杯になっていました。

それでもうつ病は一向に良くならず、更には昔から酒を飲んでは私を酷く罵倒し、時には暴力を振るう父に、すっかり精神的に参っていた私は、病気のせいで日々「自殺」を考えるようになり、必死で病気のせいだと言い聞かせて死ぬことを留まっていました。

そんな状態にも関わらず、友人が経営する会社に呼ばれ、4度目の就職をする事となりました。しかしそこは地元の零細企業。収入は殆ど失業給付と変わらない待遇。更には社会保険もなく、市・県民税も別という状態。経済状況は一向に良くなりませんでした。

そして、最初のJCBのキャッシングカードが限度額一杯になってしまっていた私は、次に「三菱UFJダイレクト」という2枚目のキャッシングカードを契約してしまいました。
父の借金状況を見て、周囲から通常の消費者金融よりも、銀行系のキャッシングカードの方が良心的と聞かされていたからです

祖母の死、そして自転車操業という状態へ


事業に失敗した父は、何度か就職はしたものの、どれも長続きせず、当然光熱費等を実家に入れる状態ではありませんでした。それどころか、行く先々でトラブルを起こし、実家に幾度も父の就職先から苦情の電話が入る有様で、時には「訴訟を起こす」とまで言われました。実際にはどういった事をしでかしていたか等は父の口からは出る事ず、真相は謎のままでした。

そんな中、近所の方からの誘いで父はそちらの会社にお世話になったものの、こちらも数ヶ月とたたず大きなトラブルとなり、ついには警察から逮捕状が出るまでになっていました。

一方、実家の屋台骨であった祖母は、80歳を越えてから父の借金問題でストレスも多いにあったのでしょう、それまでは私でさえ驚く程元気であったのに、体の不調を訴える事が多くなり、あっという間に歩行器が必要になるようになりました。


そして、ようやく判明した祖母の病気は「癌」、それも「余命3ヶ月」という診断でした。

私はそれでも作った2枚のカードで何とか自転車操業でやりくりをしていました。新しく作ったUFJダイレクトの限度額が一杯になるまでさほど時間は掛かりませんでした。使用するのは以前のような服飾への支払いではなく、車のローンと水道光熱費を全く入れない両親の代わりに生活費を支払う為になっていました。

「余命3ヶ月」の診断を受けた祖母は、それでも半年間は永らえる事ができ、梅雨の最中に亡くなりました。

しかし、祖母の葬儀の段取りを行っている時、驚愕の事実が判明しました。

私が長年祖母に預け続けていた「貯蓄用」の通帳はどれも残高は0円。それも時折かなりな額で引き降ろされ、その時期は祖母が「父の借金で頭が痛い」と言っていた時期とぴったり符号していました。体を壊してまで、「うつ病」を発症するまで、働き詰めだった私の貯蓄であったはずのものは、全て父の借金返済に使われていたのでした。

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