カード破産の体験談をお伝えしていきます。

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どうも借金レスキューです。
今回は、カードが原因となり自己破産をされたWさんの体験談を紹介します。

クレジットカードを初めて手にした時


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私が始めてクレジットカードというものを手にしたのは、社会人になってすぐでした。大学の頃から通っていた洋服店で勧められたのが切っ掛けです。当時は丁度バブルの真っ只中で、初めてカードを手に取ったときは、成人式よりも更に大人の仲間入りをした気分でした。カード会社はJCBでした。

幸い、そうした時期ですから、会社の待遇も良く。大卒女子での事務職でも十分な金額を収入として得ていました。給与に関しては、高卒の多い友人の中でも恵まれていて、心の中では少しの自尊心がありました。手にしたカードはもっぱら洋服やアクセサリー等の購入に利用しており、事務所の先輩がおしゃれな方だったのを真似をして、自分も同じようなブランドのものを買っていましたが、月の支払いは3万程度に抑えるように自分でコントロールしていました。

もちろん、実家にも生活費と預貯金代として5万近くを入れており、当時の地方のOLとしては上々の生活だったかと思います。通勤には車を使用しておりましたが、片道40分かかる距離でも十分な額の交通費も支給されており、
また、車自体も父親のお下がりをもらい、休日には友人や当時お付き合いしていた人とのドライブ等も満喫していました。まさに、「我が世の春」を満喫していた頃だと思います。

そんな中、同じJCBを使用していた会社の先輩が海外旅行に行かれ、「うらやましいなあ、すごいなあ」と思っていると、帰ってこられてから一言。

「カード会社からお金借りるもんじゃないわよ、利子がすごくって返済するの馬鹿みたい」


そう言われました。先輩はJCBのキャッシングを利用して旅行に行かれていたのでした。そこで初めて私はカードで「お金が借りられること」「返済の利子が高いこと」を知りました。しかし、その時に私の頭に刷り込まれたのは「利子が高い」事よりも、「お金が借りられる」という事でした。そして、間違っていたのは「カードを使ったショッピングは借金ではない」という思い込みでした。


「リボ払い用カード」が送られてきた日


さて、その会社の先輩はカードについても様々な事を教えてくれました。経理を担当されている方、というだけで、その先輩が言う「お金」にまつわる話は真剣に聞いていました。いえ、今思えば聞いていたつもりだったのです。

先輩とは何かと仕事で同行する事も多かったので、社用車ではなく自家用車を利用する際、ガソリン代をカードで支払い、会社に申告して現金で返金してもらうこと=一時的なお小遣いになる、という感覚は、会社の備品を購入する際にも頭に刷り込まれてしまっていました。結局はそれは先払いで、後で自分が返済しなくてはいけない、という感覚もあまりありませんでした。

ただ、「ガソリンはカードで入れると高いのよねえ」と言われたのを聞いて「ガソリンだけは現金で支払おう」。それくらいの感覚でした。

そうこうするうちに『優良会員様へ』という連絡と共に当時流行り始めた『リボルビング払いキャッシュカード』なるものが送られてきました。先の先輩に聞くと、同じものが送られてきたとの事、どういうものかを聞くと「いくらお金を借りても月に1万とか2万とかの固定で支払えばいいんだよ」という返事でした。

また「まあ、でも利子高いから使わない方がいいかもね」とも言われました。それを聞いて、「あんまり使わない方がいいものなんだ」と感じて最初のカードはすぐにハサミを入れて捨ててしまいました。

その時、私のカードの猶予額、というものは「ショッピング50万」「キャッシング40万」になっていました。ですから、私の頭の中では「ショッピングだけに使えば問題ないもの」として、お財布にはいつもカードが入っており、気軽にショッピングに利用していました。


それでも順調な日々


私の実家は自営業を行っており、祖父母と一緒の三世代家族でした。当初判らなかったのですが、物心ついてからもずっと祖父に「総領娘」と呼ばれ、妹は両親と一緒に生活し、私は祖父母に大変可愛がられて育ちました。

大人になって判った事なのですが、父親は一人っ子で非常に祖母に甘やかされて育ち、若い頃から気まぐれに「具合が悪い」と言っては仕事を休み、それを祖父母は「仕方ない」と責めもせず、祖父と従業員だけで家業を回していたそうです。祖父は諦めから、祖母は甘やかしから、父の事を「仕方ない」と言葉にしていた、と後々母から聞きました。

私が「総領娘」と祖父から呼ばれていたのは、すでに跡継ぎとしては認めていない父の代わりにに私を家業の跡継ぎに、と考えていたからだったのです。

また、家業の他にも賃貸物件を持っており、それなりに裕福な暮らしをしていました。しかし、祖父は途中でやはり家業は女性に跡を継がせるのは難しいと判断したのか、早々に家業を畳み、後は年金と賃貸物件の収入で暮らすようになっていました。

私は最初の会社がバブルの崩壊とともに倒産したため、次の職場に移っていました。

業務的に残業が多く、月収が月に30万近い事が当たり前の職場でした。この会社には10年ほど勤務するのですが収入の増加に合わせて、祖母に月々に「生活費」と「貯蓄用」として渡す金額も10万近くなっていました、その間に祖父が病に倒れ、痴呆を併発し病院を転々とする事になりました。

そして父は両親である祖父母に「仕方ない」と言われた通り、仕事もせずぶらぶらする事と飲み屋で人に奢り、その繋がりだけで人と付き合うだけ、年末には数十万単位で様々な店のツケの請求が来る事が当たり前の、所謂「どうしようもない二代目」になっていたのでした。


退職を期に「リボ払いカード」の出番が増える


残業時間が月に200時間を越える職場というのはやはり体力が続かず、丁度入社10年目に私は体を壊して退社してしまいました。

その10年間の間に祖父は長い闘病の末に亡くなり、祖母の仕切りの元に葬儀を終えましたが、両親はその間に(特に父が)祖父の猛反対を押し切り、郊外で自営業を立ち上げておりましたが、元々全く実家の家業すらまともに勤めた人ではない為、あっと言う間に失敗し郊外で食うや食わずの生活、近所の農家の方から頂く農産物で糊口を凌ぐ有様になるまで時間は掛かりませんでした。


祖父の死までの前後には、父親が幾多の消費者金融から借りた返済の電話が毎日の様に実家に掛かって来、時には祖母と私の二人暮らしの実家にまで取り立てが来るようになっていました。


私は父の借金問題で頭を抱える祖母の代わりにその対応も行っていました。同時に、両親の元へ度々連絡を入れ、こちらに迷惑をかけるな、と厳しく抗議していました。
しかし、それでもまだ実家には祖父母の蓄えがあり、反対する私の見えないところで、「我が子可愛さ」の祖母が肩代わりしていた事に気づくのはもっと後の事となりました。

そうこうしながらも、両親のいない、祖母と二人だけの生活は元々私と仲が良かった事もあり一見平和に見えていました。

先の会社の退職理由はハローワークで残業過多と認定され「止むを得ない理由」として受理。手厚い給付がなされましたが、頂くのは基本給の6割。元々残業代で上乗せされていた事から、いきなり収入が半額近くなってしまいました。この頃からそれまでの金銭感覚に慣れていた私は「ATM感覚」で以前は手を出していなかったキャッシング専用カードを使用するようになりました。

とはいえ、その頃は父の借金問題が頭にあり、まだまだ偶に誘われる友人からの急なお誘い等のその場凌ぎに使う程度に留めていました。

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