ギャンブル依存症による借金から債務整理をした体験談

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どうも借金レスキューです。

今回は、ギャンブル依存症からの借金による債務整理をされたIさんの体験談を紹介します。

債務整理の個人再生をしました。

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私は38歳のとあるサラリーマンです。妻(36歳)子供(10歳女)あり、一軒家の住宅もちです。
住宅ローン35年(月10万円の支払い)、ボーナス払い20万円夫婦そろって多額の借金をしてしまい、首が回らなくなり、家を手放したくない一心で個人再生を行いました。

借金の内訳は
車のローン:月3万円 ボーナス10万円 残り250万円
信販1:月20万円 残り150万円(ショッピングで使用)
信販2:月1.5万円 残り20万円
サラ金1:月3.5万円 残り150万円
サラ金2:月1万円 残り50万円
銀行1:月1万円 残り30万円
銀行2:月0.5万円 残り30万円
それ以外、住宅ローン:月9.2万円ボーナス17.5万円 残り2500万円(変動金利での見直しで額が変わってます。)

個人再生での月々の支払いは8万円です。

またそれ以外に、妻への生活費として月12万円、その他生活費(光熱費、雑費、子供の関係)などは自分で支払いをおこなってます。

このような生活をしだして丸2年を超えました。あと3年はこの状況が続く予定です。

月々の収入が良ければいいのですが、残業を行って、やっと生活ができるレベルだと考えます。よって貯金もできていません。
今回の体験談は自分への戒めも含めて、あとに残せば、自分のためにもなるかと思います。

本題としてなぜこのような生活に至ったかを書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

ギャンブル依存症になっていく経緯


私の父は無類のギャンブル好き。今で言うギャンブル依存症でした。私が子供のころから、父親に連れられ、パチンコ、競艇、競馬など、当時は入場制限何度なかった為、よく連れて行かれていました。

当時は子ども心から、なぜそんなことをしているのか?という気持ちはなく面白くはなかったのですが、父親と一緒にいると楽しかったため、また父親が勝った時にもらえるお菓子や、お小遣い目当てもあってか付いていきました。よく学校の先生に遭遇していましたが、見て見ぬふりをしておりました。

次の日に何か言われないかとびくびくしていましたが、学校での成績はいい方だったため?何も言われず安心した記憶があります。

高校生に上がり、地域でも上位の高校へ進学しましたが、その中でもやんちゃな子は現れてきます。

そういうのとつるみだすと、自分もちょっとやんちゃな部類になり、一緒にパチンコ屋へ行くようになりました。ビギナーズラック?(何度かはいってましたが)で、勝った時の、脳内アドレナリンがギャンブルで遊ぶ楽しさを覚えてしまっていました。


最初は1日数千円を使い遊ぶ程度にとどめておきましたが、勝ちが続くと、お金に余裕ができ、数万円単位での勝負を行うようになり、金銭感覚がいっとき麻痺していた時期がありました。

しかし、単なる学生の手前、やはりお金が無くなれば、どうしようもなくなるため、大きなやけどはしないではいられました。


また相も変わらず、父親はパチンコ、競艇、競馬は連れて行ってくれ、掛け金を払ってくれ、勝った場合は、その部いくらかはもらえる。

負けたときは父親もち。その場の雰囲気とともに、お金の価値観がなくなっていくような感じでした。


大学は、勉強はあまりしていませんでしたが、地方の国立大学に行けることができました。大学生になると、1人暮らしになりました。

親(母)の監視がないため、自由になった感覚がいっそうにまし、大学も時間の余裕があるため勉強はせず、暇があればパチンコ屋へ行く。また、お金がなくてもパチンコ屋でうろちょろする。

そういう生活をするようになってました。但しそういう生活をしていたためか?勉強をしていなかったためか?大学での単位が取れず、1年留年をしました。

よって、余分に1年授業料を払わなくてはならない。親に迷惑がかかる。。。といっときは考え、思いつめたのですが、

ギャンブル依存症になってると、一晩寝ればまた今日も行こう。行けば勝てるさ!みたいなバカな脳内意識が生まれており、この時から、精神的におかしくなっていたのかなあと考えます。

学生時代のギャンブル


大学時代はギャンブルだけやっているのではなく、バイトもするようになっていました。その時に知り合った、女の子と付き合うようになっていました。

その彼女とのデートは、初めのうちは世間一般でいう映画やボーリング、カラオケ等で楽しんでいましたが、自分は物足りなさを感じ、その内自分の趣味である、ギャンブル(パチンコ屋)へ連れて行くようになっていました。

最初は彼女は行きたくないと乗り気ではなかったのですが、彼女も私が父親に連れて行かれたのと同様に、ギャンブル依存症のスイッチがOFF→ONへ切り替わってしまうようになりました。

但し、その彼女は定職についていなかったため、ギャンブルを継続的に行えるようなお金を持ち合わせていなかった為、バイト代が入ったら一緒に行き、ということをお互いに繰り返していました。

その彼女は、バイトはするがすぐにくび、または自分から辞める。いろいろやってはやめ、やってはやめの繰り返しで、社会一般でいう、適応障害みたいな感じなのかなと感じられました。

このような生活をしていたため、生活もままならずお金が入ればパチンコ屋、なければひもじい生活でもいいという考えで2人でギャンブルにのめりこむようになっていました。
大学もいってましたが、これも行ったっりいかなかったりですが、1年留年だけで卒業をさせていただけました。担当教授には頭が上がりません。


留年はしたものの大学は卒業し、大学のある地方の企業へ就職


就職したのだから、貯金をしなければならなかったのですが、まとまったお金が入るようになったためそれを持ってパチンコ屋へ行く生活は変えられませんでした。

その頃はパチスロの4号機が流行りだしていて、一撃1万枚、20万円が一気に出るということで盛り上がっており、それに夢中になって大枚を使い、毎月の収入はそれで毎月消えていきました。
よって生活も納豆ごはんみそ汁だけで十分で残った金をすべてギャンブルで消えていく、そんな日々でした。

但しその時は借金はせずに、給料の範囲内でのやりくりだった為、大きな痛手はなかったんです。


しかし、普通の生活をしているとデパートではクレジットカードに入るとお得ですよ!とか、ネット上でもカードを作るとお得だったり、○万円の商品券を上げますよ!などうたい文句で自分も社会人になったのだからカードの1,2枚は持たないといけないという頭ができ、普通のショッピング用のカードを持つようになりました。


初めのうちはショッピングで定額の買い物で使用していました。また、ポイントがたまれば商品券を上げるとかいう上は知っていましたがそれはしないで、払える範囲でつかっていました。

そのショッピング用のカードは付帯で現金もおろせることが分かったのだが、3,4年はそのキャッシングは怖いというイメージがあったため使用はしなかったんです。


ギャンブル依存症の彼女との同棲


彼女とは社会人になっても付き合っていましたが、彼女は適応障害は未だそのままで、定職はつかず、バイトをしてはやめ、の繰り返しを行っていました。

その内、わがアパートへ居候をするようになっていったんです。
ある時、彼女がギャンブルをやりたいがためにお金が必要なので、黄色い看板(サラ金)へ行くと言い出しました。

私は、それは怖いのでやめろ、自分が貸すからということで、いっときはそれで凌ぐようになっていきました。
それから、彼女は、私に金を借りては、パチンコに精を出すようになっていました。

時には、ピンク系のバイトをやると言い出し、面接へ行ったのですが店の人に、御嬢さんはイイコそうだから、やめたほうがいいと促され帰ってきた日もありました。

よって、私が金を貸し、パチンコへ行き、勝てば、奢ってくれますが、返金はなし、負ければ我が家の貴重な食材を使い、激安料理でおなかを満たす。。。これがいつもの定番になっていきました。

付き合いだして、長くなってくると情も出てきてしまい、結婚を前提に付き合いが始まっていました。そのために、私の財布も彼女が管理しだし、意識が変わったのか?貯金をしなければという気持ちが芽生え、いっときはパチンコ屋へは行かなくなっていったんです。


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